顎関節症について

顎関節症とは?

『顎関節症』という病気をご存じでしょうか。テレビや新聞などでよく取り上げられるようになりましたので、ご存じの方は大勢いらっしゃるでしょう。また、虫歯の治療に行かれた際に、「アゴが鳴る」ので、顎関節症かもしれないと指摘された方もいらっしゃると思います。歯科の二大疾患として、虫歯と歯周病が挙げられますが、最近、『顎関節症』は、それらに続く第三の疾患として認識されています。

「アゴが鳴る」、「アゴが痛い」、「口が開きにくい」といった症状(顎関節症の3大症状)が認められる場合に、顎関節症と診断される可能性があります。顎関節症という名前から推測すると、症状も原因も顎関節に限局する病気のように感じます。しかし、首の痛みや頭痛が伴う場合もあり、何かととらえにくい病気です。そのため、何科にかかったらよいのか分からずに、整形外科や整体、神経内科に行かれる場合も多いようです。第三の歯科疾患と言われるように、一般歯科が治療を担当していますが、痛みの程度が酷かったり、口がほとんど開かなかったり、治療が長引いたりといった場合には、大学病院の口腔外科や補綴科が担当します。また、噛み合わせが悪いからアゴに問題が起こったのだとの思い込みから、矯正歯科を受診される方もいらっしゃいます。一方、「アゴが鳴る」のみで、痛みを伴わない場合、積極的な治療を必要とせず、放置しても日常生活に何ら不自由しません。

矯正歯科に来られる患者さんは若い女性が中心ですが、顎関節症も若い女性に多い病気です。また、歯列矯正は噛み合わせを直接さわる治療ですので、顎関節症との関わりも気になるところでしょう。歯列矯正治療との関わりも含めて、顎関節症を正しく理解して頂くために、まずは、顎関節症になったとき、関節内部でどのような変化が起こっているのか知って頂くところから始めます。そして、その原因へと話を進めていきます。

顎関節症の時、関節の中はどうなっているのか?

正常な顎関節部の解剖学的構造は?

正常な顎関節の解剖学的な構造ですが、右の図を見てください。耳の穴のすぐ前に小さな○印があり、そこが顎関節です。そして、大きな○で囲ったところは顎関節の拡大図です。まず、骨の構造ですが、側頭骨の関節窩と、下顎骨の顆頭から成ります。関節窩と顆頭の間には、関節円板と呼ばれる組織があり、サンドイッチされた状態で存在します。関節円板は、前方部と後方部が肥厚しており、凹んだ中央部で、顆頭が安定するような形態をしています。これはちょうど、真ん中が凹んで頭を支えやすくした、クッションや枕のようなものだと理解してください。関節円板の後方は、後部結合組織とつながっており、前方は外側翼突筋上頭とつながっています。この関節円板の前後の連結はとても緩く、前後的に移動が可能なことを示しています。顎関節部は関節包に囲まれ、内部の空洞は潤滑剤としての滑液で満たされており、円板がなめらかに動くようにできています。

開閉口時に認められる正常な顆頭と関節円板の動きは?

咀嚼や発音といった機能時に、顎関節を介して、下顎はとても自由に動きます。このような動きは、膝関節など他の関節に認められる回転運動だけではとても無理があります。口を開いたとき、顆頭は、その場にとどまって単に回転するのではありません。開口時には、顆頭は回転しながら、関節窩の前方半分の斜面に沿ってスライドします。閉口時には、回転しながら斜面に沿って元の位置へ戻ります。つまり、顆頭は回転とスライド運動を同時にこなしますので、顎関節はとても器用で複雑な関節なのです。正常な顎関節において、開閉口時には、関節円板も、顆頭と一緒に動き、常に関節窩と顆頭の間のサンドイッチ状態がキープされます(下図の左列、正常顎関節を参照)。

顎関節症に認められる構造上の問題と、異常な顆頭と関節円板の動きは?

複雑なものほど壊れやすいのは世の常ですが、顎関節もまたしかりなのです。もし、何らかの影響で関節円板がズレて、関節窩-関節円板-顆頭のサンドイッチ状態が崩れたとしたら、どうなるでしょうか?関節円板は、前後的な連結が弱く、特に後方の結合が弱いため、前方へズレやすいことが分かっています。後方へズレる場合も報告されていますが、極めて稀です。関節円板が前方へズレてしまうことを、関節円板前方転位といい、顎関節症患者の約60~70%に認められます。これは、顎関節症で最もよく見られる病型で、日本顎関節学会により、顎関節症Ⅲ型と分類されています。一度、後方の結合が伸びると、伸びきったゴム紐状態になり、閉口時に、関節円板は二度と元の位置へ戻らなくなります(上図の中央列と右列を参照)。

関節円板前方転位の状態で口を開くと、関節円板の後方肥厚部が顆頭の前方へのスライドを邪魔します。更に開口量を増やすと、顆頭は関節円板の後方肥厚部に乗り上げ、一時的にサンドイッチ状態に戻ります。たとえ一時的であっても、サンドイッチ状態へ復帰することを“復位”といいます。その時に衝撃があり、それが、“カクッ”という関節雑音(クリック)としてとらえられます(上図の中央列を参照)。これは、車が縁石に乗り上げたときのショックと似ています。一般的に、「アゴが鳴る」と表現されますが、これがその正体です。開口から閉口へ転じると、関節円板は再び前方へ転位し、サンドイッチ状態が崩れ、2度目のクリックが生じます。開口時と閉口時に1度ずつクリックが起こりますので、これを“相反性クリック”と呼んでいます。このような関節円板の前方転位を“復位性の関節円板前方転位”といい、まだこの時点では、十分に口が開きますので、痛みもほとんどありません。

関節円板前方転位の状態が酷くなると、やがて、開口時に円板が復位しなくなります。これを、“非復位性の関節円板前方転位”といいます。この時には、クリックが消失し、開口が関節円板により妨害され、「口が開きにくい」状態になります。このような開口障害を、“クローズドロック”と呼びます(上図の右列を参照)。ここまで症状が進行すると、「アゴが痛い」ということになります。

関節円板前方転位はいつ頃から起こるのか?

学童期の正常ボランティアの子供に対して、顎関節部のMRI撮影を行い、その経年的な変化を調べた報告がありました。MRI撮影では、関節円板の位置を3次元的に評価できます。その結果、10歳~14歳の被験者の中に、関節円板の外側の一部が前方転位している所見が複数認められたとのことでした。この程度の一部転位なら、クリックなどの症状はほとんど無いと思われます。もし、この事実を顎関節症のきっかけと考えるのなら、中学生から高校生にかけて顎関節症を発症することが多いということに合点がいきます。後述しますが、この時期は、矯正治療の最適時期とくしくも重なっており、何らかの誤解を受けるもととなっています(《矯正治療で顎関節症が発症したり、酷くなったりすることはあるのか?》の項を参照)。

顎関節症には色々なタイプがあるのか?

日本顎関節学会では、顎関節症を次の5型に分類しています。Ⅰ型:咀嚼筋障害、Ⅱ型:関節包・靱帯障害、Ⅲ型:関節円板障害、Ⅳ型:変形性関節症、Ⅴ型:その他の関節症。その中でも、関節円板の転位による顎関節症(Ⅲ型)が圧倒的に多く(約60~70%)、当然ながら、顎関節症治療を目的として矯正歯科を受診される患者さんはほとんどこのタイプです。よって、他のタイプの病態については省略し、Ⅲ型の病態のみ上記に詳述しました。

噛み合わせが悪いと顎関節症になるのか?

噛み合わせが悪いから顎関節症になったのだと思われている方が多く、私たちのような矯正歯科へ来られる患者さんも時々いらっしゃいます。更に、顎関節症予防の目的のために、歯列矯正治療を希望される方もいらっしゃいます。これらの患者さんからは、「歯並びを治すと、アゴも治りますか?」と当然のように質問されますが、果たして、「Yes」なのでしょうか。それとも「No」なのでしょうか。結論から言うと、「治ることもありますが、治らないこともあります。」ということになります。つまり、Yes/Noで答えられない問題なのです。

「噛み合わせが悪い⇔顎関節症」という図式が成り立つためには、「噛み合わせが悪い人は必ず顎関節症になる」ということと、「顎関節症になった人は皆、噛み合わせが悪い」という2つの条件が成立する必要があります。噛み合わせが悪くても、顎関節症でない人は大勢いますし、逆に、とてもキレイな歯並びで噛み合わせも申し分ないのに顎関節症になっている人も大勢いらっしゃいます。このことから考えて、「噛み合わせが悪い⇔顎関節症」という関係が成り立たないことは明らかです。しかし困ったことに、噛み合わせを治すと顎関節症も治ると短絡的に考えるドクターも多く、そのような情報がネット上に溢れています。

顎関節症は、若い女性に多いことが知られていますが、噛み合わせが悪いのは若い女性に限ったことでないのは明らかです。年がいけば、歯周病で歯を喪失したり、歯を支える組織が弱くなったりして、噛み合わせに問題が起こりますので、老人の方がむしろ噛み合わせに問題を抱えています。また、不正咬合に男女差がないのに、顎関節症には男女差があるという事実から考えても、「噛み合わせが悪くても顎関節症になるとは限らない」ということが言えると思います。

以上のように、噛み合わせの悪さと顎関節症との間に、直接的な因果関係が無いと述べましたが、これは、単なる私の推測ではなく、世界中の多くの研究者が導き出した結果でもあります。

もちろん、不正咬合と顎関節症との間に、直接的な因果関係が無いからといって、噛み合わせをいい加減に考えてよいというわけではありません。噛み合わせを治療すると顎関節症がよくなる場合もあるという事実から考えて、悪い噛み合わせが顎関節症の補助的な原因である可能性があります。つまり、不正咬合を放置すると顎関節症にかかりやすくなる可能性は低いですがありえます。また、不適切な虫歯治療や矯正治療が引き金となって、将来、顎関節症にかかりやすくなる可能性も否定できません。

顎関節症の原因は?

それでは、顎関節症の原因は何なのでしょうか?以上の議論は、顎関節症の原因を『悪い噛み合わせ』の一つに限ったことから起こる混乱でした。実は、複数の原因が考えられており、それらの原因が組み合わさって起こる、多因子性の疾患だと考えられています。それらの原因を列挙してみます。

  1. 関節円板の転位
  2. 悪い噛み合わせ・不正咬合
  3. 食いしばり
  4. 歯ぎしり
  5. 頭頸部の筋肉の異常緊張
  6. 偏咀嚼、頬杖、うつぶせ寝などの、悪い生活習慣
  7. 精神的ストレス

これらの原因のいくつかが組み合わされ、その人の持つ顎関節の耐久力を超えた場合に顎関節症になると考えられます(右上図参照)。たとえば、正常咬合者であっても、関節円板がズレた状態で、夜中に歯ぎしりが加わると、顎関節に耐久力を超える負荷がかかり、顎関節症が生じるといった具合です。

原因①番目に関節円板の転位を挙げましたが、Ⅲ型顎関節症の病態としても関節円板の前方転位を挙げました。円板の転位は、原因の一つなのか、あるいは、顎関節症の結果なのか、議論する必要があるかもしれません。顎関節症と全く自覚のない人でも、関節円板の転位はかなりの率で認められます。そもそも円板転位は病気でないのかもしれません(《顎関節症は病気なのか?》の項参照)。

原因②番目である不正咬合に関しては、《顎関節症のリスクを軽減するために、矯正治療で考慮すべき不正咬合は?》の項を参照してください。原因③~⑥は、顎関節に対して直接的に高い負荷をかけるものです。原因⑦ですが、人はストレスを感じると、それを発散させるべく就寝時に歯ぎしりを行い、その結果、顎関節に対して間接的に高い負荷をかけます。

以上の原因それぞれについて、リスクの違いはあるはずですが、実際のところ、その高低についてよく分かっていません。ただし、歯ぎしりで生じる力は、起きている間の噛む力に比して約2~4倍もあり、また、上下の歯が接触している時間も歯ぎしりの方が長いのです。つまり、病的な歯ぎしりが顎関節症を引き起こす確率は約50~70%とされていますので、歯ぎしりが最も高いリスク因子である可能性が考えられます。

男性より女性に多いのは?

男性より女性に多いと先に述べましたが、女性の方が顎関節、アゴの骨格、咀嚼筋が弱く、耐久力も弱いからと考えると納得しやすいです。しかし、女性ホルモンの関与も指摘されるなど、正直よく分かっていません。

若い人に多いのは?

中学生から高校生にかけて発症するなど、若い人に多いのも顎関節症の特徴ですが、この時期、自身の置かれている環境が激変することが大きなストレスとなっていると思われます。学校でのこと、友人や周囲の人との関係等、悩みが大きくなるのもこの時期です。また、顎関節や口の中の環境を考えると、顆頭では、赤色骨髄から黄色骨髄へと性質を大きく変化させますし、口の中では、第二大臼歯が萌出し、子供の歯列・咬合から大人の歯列・咬合へ変化します。これらの変化は全て、ストレスに他なりません。

顎関節症は病気なのか?

顎関節症という言葉がある以上、多くのドクターからは、病気として認識されています。しかし、痛み等の症状があった状態で治療を全くせず放置しても、いずれ、ほとんどの人が痛みを感じなくなり、日常生活に何ら不自由がなくなります。また、自覚症状の無いものでも、検査を行うと60~70%の人に何らかの異常が認められることより、顎関節症は病気ではないと考えるドクターもいます。人は毎日三食の食事を80年以上も続けるのですから、いわゆる使い痛みがでても何ら不思議ではありません。顎関節症で認められる病態を、一種の老化現象ととらえ、酷使しないように注意すれば、恐るるに足らずではないでしょうか。酷い痛みを繰り返したり、日常生活に不都合が生じるほど口が開かなかったりする場合は、きちんと病気として対処する必要が有りますが、それ以外は、あまり神経質に考えない方がよいのかもしれません。

顎関節症治療のために矯正治療は必要なのか?

しかるべき技術を持った矯正医が治療を行うと、噛み合わせは必ずよくなります。治療後、頭痛や肩こりがましになったとのお声も頂いておりますので、矯正治療が顎関節症の治療に有効である場合があります。しかし、先に詳しく述べましたように、噛み合わせの悪さが関係していない場合も多くありますので、顎関節症治療を主目的とした矯正治療は慎重に行う必要が有ります。矯正治療は長期間に及ぶため、顎関節症に対して即効性を期待できないのもマイナスです。まずは、即効性の期待できるスプリント療法がお勧めです。スプリント呼ばれるマウスピースを就寝時に装着し、歯や顎関節にかかる負荷を軽減します。また、消炎鎮痛剤の服用なども即効性が期待できます。多くの場合、しばらくすると無症状に経過するため、矯正治療まで必要としません。尚、顎関節症治療を主目的とした矯正治療であっても健康保険はききませんが、一般歯科で行うスプリント治療や投薬治療には保険が適用されます。

従いまして、見た目の改善を主目的とし、顎関節症のリスク軽減を副次的な目的ととらえて頂けるのなら、その場合にのみ、矯正治療をお勧め致します。

顎関節症に関連する不正咬合のタイプとは?

噛み合わせが悪い、不正咬合と言っても、いろんなタイプのものがあります。その中でも、次に挙げる4つのタイプで顎関節症との関連が指摘されています。その上に、審美的な問題も含んでおります。矯正治療前より顎関節症の症状があり、これらのタイプの不正咬合があるのなら、顎関節の状態を的確に把握した上で、リスクを減らせるよう細心の注意を払った矯正治療が必要となります。

①骨格性開咬

開咬とは、口を閉じたときに、奥歯は噛み合っているのに、前歯が全く噛み合っていない不正咬合のことです。開咬では、噛み合う歯が少ないわけですから、噛み合った時に生じる力の全てを歯で受け止めきれません。その分、顎関節にかかる負担が増大することは容易に理解できます。また、開咬の度合いが酷くなると、それにつれて顎関節部にかかる力も増えていくことが証明されていますので、顎関節症リスクも高まってしまいます。

②下顎が著しく後退した上顎前突

上顎前突を大きく分けると、上の前歯が傾斜し飛び出したもの(歯性上顎前突)と、下顎が後退したため相対的に上顎が前突しているもの(骨格性上顎前突)の2つがあります。このうち、下顎が後退した骨格性上顎前突症の場合、顆頭も後方位をとり、関節円板の前方転位が起こりやすく、顎関節症のリスクは高まります。(上顎前突には、上顎自体が前突した骨格性上顎前突も存在しますが、比率的には下顎後退型が圧倒的に多いです。)

③片側性交叉咬合

偏咀嚼(いつも同じ側で食物を噛むこと)や、頬杖のような悪習癖があると、下顎は側方へズレていきます。こうなると顔は正面から見て歪んで見えるようになります。また、噛み合わせの高さが左右で極端に変わってきます。この場合、歯が噛み合わさったときに、左右の噛む力に不均等が生じますし、顎関節にかかる力にもアンバランスが生じます。このような状態では、関節の位置もズレやすく、関節円板の転位も起こりやすくなります。こうして顎関節症のリスクが高まります。

想像して頂きたいのですが、もし、右足に高下駄を履いて、左足に底の薄い靴を履いて日常生活を送ったとしたら、身体にはどんな悪影響が出るでしょうか?そんな人はいるはずはないと思いますが、恐らく、よく歩き回る人の中に、腰痛や膝痛に悩まされる人も出てくるのではないでしょうか。腰痛や膝痛を顎関節症の痛みに置き換えると、理解しやすいと思います

④顆頭後退位と最大咬頭嵌合位との間に4mm以上の差がある咬合

関節円板は、顆頭と関節窩の間にサンドイッチされた状態で存在しますので、もし、顆頭の位置が不安定な場合、関節円板は前方へ転位しやすくなります。歯を接触させずに顆頭を最も後退させた位置(顆頭後退位)と、歯が最もよく噛み合う時の顆頭の位置(最大咬頭嵌合位)との差を計測した場合、この差が4mm以上あると、顎関節症のリスクが高まる可能性があるとの指摘があります。恐らく、この差が大きくなると、顆頭の位置が不安定になり、関節円板の前方転位が起こりやすくなるのでしょう。

以上より、矯正治療前に顆頭の位置を把握しておくことが、顎関節症のリスク判定に役立ちます。

当院では、調節性咬合器と呼ばれる、上顎・下顎・顎関節を再現できる器械を用い、患者さんそれぞれの噛み合わせと顎関節を3次元的に再現しております(左図)。これにより、顆頭の位置を前後、上下、左右の3方向から測定することが可能です。また、噛み合ったときに、下顎変位の量と方向より、下顎位の安定度の評価もしております。

顎関節症に対する矯正治療の影響は?

適切な矯正治療を行っても、残念ながら、その治療中に顎関節症状を認めることがあります。果たしてこれは、矯正治療が原因となって起こったのでしょうか。結論から申しますと、そのようなことを示唆する研究や報告はありません。それでは、矯正治療中と矯正治療後に分けて、詳しくみていきます。

もし、矯正治療中に顎関節症が発症したら・・・

顎関節症は若い女性に多いことを説明しましたが、多くの場合その発症は、中学生から高校生にかけての時期に認められます。女性にとって、この年頃は矯正治療の最適齢期であります。つまり、発症時期と矯正治療の最適時期が重なっているため、全く矯正治療と関係なく顎関節症が発症しても、まるで矯正治療のせいに感じられます。矯正治療中に顎関節症を発症したほとんどのケースはこのような場合であり、本来噛み合わせをよくするはずの矯正が悪者として誤解を受けやすいのです。

ストレスが増加すると歯ぎしりも増えることが知られていますが、矯正治療自身がストレスとなり、治療中に一時的に歯ぎしりが増加することがあります。このような場合に、他の原因と組み合わさって、顎関節症状が出現することが希にあります。ただし、ほとんどの場合一時的で、その後症状が酷くなることはほとんどありませんし、矯正治療単独で顎関節症を引き起こすという報告はありません。

矯正治療では、抜歯をして歯を並べることがあります。この場合、噛み合う歯の数が減少して噛み合わせが低くなり、顎関節にかかる負荷が大きくなる可能性があります。また、治療前後で噛み合わせが大きく変化しますので、顎関節に与える影響も大きいはずだと仮定し、多くの研究がなされました。しかし、そのような大きな変化の場合においてさえも、矯正治療が顎関節症の発症に影響を与えているという報告はありません。

もし、矯正治療中に症状が発現した場合の対処方法は・・・

対処方法ですが、基本的には、一般の顎関節症と同じです。関節雑音のみ認められ、痛みや開口障害が認められないのなら、特別な対処の必要は無く、経過観察のみ続けます。痛みが認められるのなら、矯正装置の一時的撤去や矯正力を弱めるといった矯正的に必要な処置を行った後、温めたり・冷やしたりといった温熱療法やマッサージ等の理学療法を行います。また、消炎鎮痛剤を服用してもらうこともあります。もともと、顎関節症は、安静にしていれば経過が極めて良好な病気なので、たいていは、これらの治療で治まってしまいます。少し症状が長引く場合には、スプリント療法という、夜間装着のマウスピースによる治療を行います。スプリント療法は、夜間に病的な歯ぎしりや食いしばりをしている人に特に有効です。これでも治まらず、開口障害が長期に及ぶような場合は、関節内部の癒着が疑われますので、口腔外科へ受診してもらい、パンピング・マニピュレーションといった比較的簡単な外科処置が必要になることもあります。しかし、今までの20年以上の臨床経験で、外科処置が必要になるほどの症例に遭遇したことはありません。

もし、矯正治療後に顎関節症が発症したら・・・

矯正治療後の比較的早い時期に症状がでることもあります。そのようなケースは、元々症状があったものが治療中に一時的に消え、また、治療後症状が現れるという経過をたどったものかもしれません。矯正治療中には、歯が非生理的な状況に置かれることがあり、その場合に、顎関節や咀嚼筋の反応が鈍くなることがあります。そのため一時的に症状に対しても鈍感になります。このような経緯を考えると、治療が症状を増悪させたわけではありません。

矯正治療後、長期間経った場合はどうでしょうか?矯正治療を受けた人と、そうでない人を比較した場合、顎関節症の発症に全く差がないことが、世界中の多くの研究で認められています。つまり、長期的に見て、矯正治療が顎関節症の原因となることはないようです。

最後に

顎関節症であると全く自覚していない人でも、検査を行うと約60~70%に何らかの異常が認められます。この人たちは、まさしく顎関節症予備軍です。ただし、そのうちのほとんどの人は、その後の人生において、アゴの痛みと無縁で過ごせます。しかし、偏咀嚼や頬杖といった悪い生活習慣を続けるうちに、顎関節症を自覚するに至る人もいるでしょう。この構図は、高血圧などの生活習慣病とそっくりです。

現代は、ますます高ストレス社会になっていきますので、顎関節症を自覚する人も増えていく可能性はありますが、生活習慣病と認識して、悪い習慣をいましめれば、決して恐れる必要は無いでしょう。また、不幸にして顎関節症を発症しても、何れ、ほとんどの人が痛みを感じなくなることを知っていれば、慌てないですみます。

顎関節症にとって悪い生活習慣としては、偏咀嚼、頬杖、うつぶせ寝以外に、長時間大きく口を開けたり、硬固物を好んで頻繁に食べたりといったことが挙げられます。これらは、顎関節に直接強い負荷がかかるものばかりです。長い人生、快適な食生活をおくるためには、顎関節をいたわって頂きたいと思います。

ちなみに、固いものを食べると、アゴが鍛えられ、顎関節の耐久力が増すと勘違いをされている方がいらっしゃいます。もし、そのような効果があるとしたら、成長期の子供が、適度な固さのものを咀嚼する場合のみです。度を超した硬固物の咀嚼は、大人であっても、子供であっても、アゴを鍛えるどころか、とても危険な行為です。『硬固物咀嚼は悪習慣なのだ』と、くれぐれも心に留めて置いてください。『過ぎたるは及ばざるがごとし』と言うではありませんか。