ここで語る院長像

まずは見た目、梅沢冨美男に似ているとよく言われます(笑、でもあまりうれしくない)、円 広志に似ているとも言われる(まだましか)。円 広志は「飛んで飛んで」のフレーズで有名な歌手です。大阪では結構有名です、と信じてます。
僕的にはその二人があまり結びつきませんが、15年ほど前のテレビ番組で、円 広志が「よく梅沢富美男に間違われる」とぼやいているのを聞きました。それから、やっぱり世間的には同じ系列なんだと納得した次第です。
最後に、今は、見る影もありませんが、石田純一に似てるとも言われました。一回だけ。
(よく考えると、そのころ流行ってた黒いセルのめがねをかけてました。それが石田純一と同じだっただけのことです)

この仕事をしていると「なぜ矯正医になられてたんですか?」「歯が好きなんですか?」と聞かれます。
そういえば、まさか自分が歯医者になるなんて考えてもいませんでした。まして、矯正医なんて。そんな職種があることも知りませんでした。歯列矯正といっても、中学生の時に同じ塾に通ってた増田クンがなんか歯にはめてたなぁ、といったことしか思い浮かびません。

まずは矯正医になった経緯からお話します。ちょっと長いので飛ばしていただいてもOKです。高校時代ですが、本当に自由で楽しい高校でした。良い思い出しかありません。今も患者さんの中に、泉陽高校の子がいると、学校の様子を聞いてしまいます。やっぱり、今もものすごく楽しいようです。また、楽しすぎて勉強する暇がないのも昔と同じようです。自由奔放で放し飼い、泉陽牧場と言われてました。

そんな高校時代ですが、卒業が近づき、漠然と教師か医師になりたいと思っておりました。しかし、結局、入学したのは機械科でした。機械科に進んだ理由は、今も謎です(うそ)。実は、山○大学医学部を受けましたが滑りました。その頃の国立2期校(センター試験のない頃の話です)の医学部は高倍率で、そこも開けてびっくり42倍でした。ほとんどあきらめモードでしたが、終わってから萩、津和野を一人で旅行し、それなりに楽しい受験でした。そういえば、その2月に、大学受験のため生まれて初めて東京に行き、受験前日に東京タワーに上りました。新幹線も2回目でした。ホテルの朝食が生まれて始めて見るオートミールで、口にあわなかったのを思い出します。どちらも受験を機会に楽しんでおり、今思えば、その頃から旅行好きだったようです。

進学した機械科では、大型コンピュターに慣れ親しみ、それが今のオタク系に繋がってるような気がしないでもないです。 そんな機械科ですが、結局、卒業後に思うところあって歯学部に編入いたしました。

紆余曲折で進学した歯学部ですが、卒後の進路は、元来、子供好きであったため、小児歯科か矯正歯科をと考えておりました。結局、矯正歯科を希望し、矯正学講座の作田守教授に残していただきました。あのとき、教授が入局を許可してくれたことが今の自分に繋がっており、今も感謝しております。

大学病院での診療では、現在、神戸市垂水区で開業の土屋雅文先生と堺市中百舌鳥で開業の竹内葦嘉英先生に、お世話になり、本当に親身にご指導いただきました。お二人ともめちゃめちゃ上手な矯正医で、ぼくには「神の手」に見えました。また、土屋先生の「技術は教えられるが、人間性は教えられへん」という意味での「医療は人間性や」という言葉は、今も心に残ります。素晴らしい二人の先生には、今も親身にしていただき、感謝の気持ちで一杯です。僕自身、二人の先生には、まだまだ近づけず、ブラックジャックへの道も遠そうです。

歯学部卒業時に何も分からず選択した進路ですが、良い先輩に恵まれ、開業してからは沢山の患者さんにも来院いただき、矯正歯科を選んで本当に良かったと感じております。

プライベートでは、大の旅行好き。学生時代に、北海道一周、東北一周、四国一周、九州一周、沖縄離島一周等日本全国ほとんど行きました。その後は、アメリカ1ヶ月、ヨーロッパ2ヶ月、中国2ヶ月、オーストラリア1ヶ月等、大学が休みになると長期に海外を旅行しておりました。歯学部卒業後はさすがにそれほど長くは行けませんが、シベリア鉄道でサンクトペテルブルグ、エジプト、トルコ、揚子江三峡下り、カンボジア等、だんだん人の行かないところに旅行しております。開業してからは、海外の学会に参加する程度になってしまいましたが、何年かに一度アメリカ矯正学会、ヨーロッパ矯正学会等への参加を楽しみにしております。その為、時々クリニックを休診させていただくことがあります。これも研修のためとご理解ください。患者のみなさんごめんなさい。

今までで一番思い出に残った場所は、エジプト、やっぱり異空間でした。結構、遺産好き、そのため、ギリシャ、トルコ、イタリア、中国、カンボジアなどが思い出に残ります。今年(2010年)、30年ぶりにドバイに行き、あまりの変貌にびっくりしながらも、懐かしかったです。 嫁が僕と結婚したのはたくさん旅行に行けると思ったからだそうです。老後は、暖かい東南アジアで過ごしたいです。その中でもベトナムは、物価が安く、食べ物も口に合うのでお気に入りです。これは、順応力の高い嫁も嫌がっており、いくら旅行好きの嫁とはいえ、やっぱり日本が良いようです。

スポーツはスキーが好きで、開業までは年間2~3週間程度は滑っておりましたが、開業後は忙しくてあまり行っておりません。ちなみに、肋骨を2回折っております。これは内足加重で下手だからです。本当は、冬になると血が騒ぐ。(でも、嫁はスキー部で、それも競技スキー。嫁の方がうまいのがしゃくの種。それと体力の衰えが最近スキーに行かなくなった本当の理由。寒さもこたえる)

その他、スキューバーダイビングも楽しんでおりました。和歌山の串本でしか潜ったことがないのですが、日常とは離れて(体重とも離れて?)本当に素晴らしい世界です。ただ、2009年に潜水病になり、減圧設備のある東京医科歯科大学で治療を受けました。現在、症状は回復しておりますが、潜るのは休止中です。 

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